「超大型台風でも出社、これ当たり前」クールな日本に違和感。幼少期の教育が人格と選択肢の違いを創る。
>id:dorami201さんの記事や
www.tokuniyarukotonaikara.work
>id:s2m-k2h5さんの記事にもあるように
超大型台風だろうが、大地震だろうが津波警報が出ていようが、出社する。これ当たり前。
日本はまだまだそういう固定概念が強い。ように思う。
本当はみんな行きたくて行くわけではなく、会社側が明確な指示を出さないのがいけない。
私にはまだまだまだまだ理解のできない文化である。
香港は沖縄より赤道に近く、ゲリラ豪雨・暴風雨・雷・台風の影響が強い。
警報は台風、雷、暴雨と別れていて、例えば暴雨警報について簡単に説明すると
「黄・赤・黒」とあり、黄は要注意、赤は学校幼稚園お休み、黒は交通機関及び会社も休みとハッキリしている。
黒の場合は地下街が浸水するレベルで、東京じゃ想像つかないくらいかも。
それにしても学校・幼稚園が休みになる基準が明白なので、朝行くか行くまいかで困惑することもあまりない。
悩んだ挙句学校や会社に向かって不幸に…なんてことも日本に比べて少ない(かも?程度だが)
日本人のこういう律儀な感覚を習得するのは広東語(四声ならぬ九声もある)を習得するより難しい。
日本で生まれ育って日本の保育園・幼稚園・小学校で培ってきた感覚・教養がものを言うのだろう。
私は日本での生活は二十数年以上で日本語もネイティブだが、幼少期は日本の教育を受けていない。
そう思うと幼少期の教育・思想・教養・価値観の教えはとんでもなくデカい。
人格形成から選択肢自体から、選ぶ際の基準指標までインプットされてしまう。
私も日本で一貫して教育を受けていれば、大型台風の今日も出社を選んでいた。
香港で教育を受けていれば、デモ運動に参加している。
中国で教育を受けていれば、香港も台湾も中国のものと考える。
アメリカで教育を受けていれば、世界の手綱は我々が引いていると思う。
ヨーロッパで教育を受けていれば、中国日本韓国なんて区分けに意味はなく、全部同じ人種くらいにしか考えない。
どれも別に良い悪いとかなく、そこでの教育を受けていれば至極当然の思考と選択結果になる。生まれた瞬間から国は自動的に決定され、選べない。
あなたの思想を作っている教育も、あなたに都合のいい情報を与えているのも、あなたの当たり前だと思っている当たり前じゃないことも、そのあなたのマインドの土台を作っているのは国である。
ちなみに「韓国がホニャラララ」とか「中国がホニャラララ」とか「アメリカがホニャラララ」とか、それ、本当に自分の考えだと思いますか?
次は世界平和ブログを謳っているからには、そろそろそれっぽいこと書かないとなあー。
あ、妻のサラだ。よろしく。